道東の旅10【前編】 釧路川に沿って南下 釧網本線・摩周→標茶→塘路

釧網本線・摩周→塘路の鉄道旅と、釧路川の水運・塘路湖などの地理・歴史などを、旅行初心者の方にもわかりやすく解説してゆきます!

川湯温泉駅を出て、釧路方面へ南下 

釧路川に沿って南下

川湯温泉駅かわゆおんせんえきを出ると、釧路川に沿って、

  • 美留和駅びるわえき
  • 摩周駅ましゅうえき

を過ぎ、標茶しべちゃ釧路くしろ方面へと向かいます。

釧路川に沿って南下:釧網本線・美留和駅(北海道川上郡弟子屈町)

美留和駅(北海道川上郡弟子屈町)





釧路川に沿って南下:釧網本線・摩周駅(北海道川上郡弟子屈町)

摩周駅(北海道川上郡弟子屈町)

摩周駅ましゅうえき(北海道川上郡弟子屈町)は、昭和初期の開業当初は、弟子屈駅てしかがえきという駅名でした。

弟子屈町てしかがちょうの中心駅なので、「弟子屈駅」といっていたわけですね。

しかし戦後になり、釧網本線は観光路線としての性格が強くなってきたため、「摩周湖のイメージ」をどんどん押し出してゆきたいということで、「摩周駅」に名前が変更されたのでした。

摩周湖(北海道川上郡弟子屈町)

釧路川による「水運」で栄えてきた、弟子屈町

現在の摩周駅がある弟子屈町てしかがちょうは、かつて釧路川水運の拠点として栄えました。
つまり、硫黄や木材などの、当時の日本としては貴重な資源を売るために、舟に載せて運んでいたというわけです。
特に、明治時代には弟子屈の町は硫黄の輸送で(多くの働く人たちで)にぎわい、その後も森林資源の流送のために発展してゆきました。

弟子屈町では、明治時代に硫黄山(アトサヌプリ)において硫黄が採掘され、これらの資源は釧路川を利用して輸送されました。
これにより、弟子屈の町は、多くの人たちで活気が生まれることになったのでした。

アトサヌプリは、標茶の北西にある「硫黄山」とも呼ばれる山です。

硫黄山(アトサヌプリ)(北海道川上郡弟子屈町)

硫黄山(アトサヌプリ)については、以前の以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

道東の旅9【前編-2】 川湯温泉・アトサヌプリ(硫黄山)の観光を堪能
釧網本線,川湯温泉,摩周湖,屈斜路湖

釧路の製紙業に必要な木材も運んだ、釧路川

その後、明治時代後期から大正時代にかけて、町内の森林資源は、釧路川を通じて、釧路にある製紙工場などに対して、出荷されてゆきました。
これにより、弟子屈町釧路川の水運における重要な拠点としての役割を果たしました。

19世紀末には、釧路苫小牧を結ぶ鉄道が開通しましたが、これは主に製紙工場への木材輸送を目的としていました。
この鉄道も、弟子屈町の発展に貢献しました。

釧路の製紙業の歴史については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください

道東の旅14【前編】 根室本線・釧路→大楽毛→白糠 - 鉄道旅行を究極まで楽しむブログ
前回で、花咲線はなさきせんで根室ねむろから釧路くしろへ戻りました。 今回は釧路駅くしろえき(北海道釧路市)を出て、根室本線ねむろほんせんで西へ進み、 白糠しらぬか 浦幌うらほろ 豊頃とよころ 池田いけだ 幕別まくべつ を

標茶駅に到着 明治時代の物流の拠点

摩周駅を出ると、磯分内駅いそぶんないえきを経て、標茶駅しべちゃえきに到着します。

標茶しべちゃは、先述のアトサヌプリ(硫黄山)から掘り出した硫黄を、釧路に運ぶための拠点の町として栄えました。

明治時代は、アトサヌプリ~標茶までの区間では「釧路鉄道」とよばれる鉄道が既に出ていました。
つまり、山の中を、硫黄をたくさん積んだ蒸気機関車が進んでいくようなイメージですね。

鉄道が出来るまでは、釧路川の水運に頼っていた

しかし、標茶~釧路までの区間は、まだ鉄道は無かったのでした(釧路湿原に鉄道を建設する技術が当時はまだ無かった)。
そのため、当初は釧路川の水運に頼ったそうです。

つまり鉄道ができるまでは、船にたくさんの硫黄を載せて釧路まで運んでいたというわけですね。
たぶん湿原というジメジメ・草ボーボーの土地に、当時の技術で線路を引く工事をするのは難しかったのでしょう。

釧路川(釧網本線の車窓より)(北海道)

釧路川(釧網本線の車窓より)(北海道)

かつての硫黄運搬の拠点・標茶

標茶はこうした「硫黄を載せたり、下ろしたりする」ための拠点だったため、多くの人々がそこで働き、住むようになりました。
なので、一時期は釧路よりも栄えたことがあったようです。

明治時代、労働に従事した囚人を集めておくための「集治監」

そして標茶には、釧路集治監くしろしゅうじかんという、囚人を収容するための施設もありました。
つまり、そこで働く(および、その人達に衣・食・住の生活サービスを提供するお店など)も増えて、町が発展していったというわけです。

集治監しゅうじかんとは、明治初期にできた監獄の初期バージョンのようなものであり、囚人を集めておくための施設です。
明治時代の北海道にはこうした「集治監」がたくさんありました。

「言論の自由」が無かった明治時代 政府に反対した人々が、次々に北海道へ連れて来られた

以前も解説したように、明治初期には「言論の自由」が無かったため、政府に反対した人たちが次々に逮捕されてゆき、北海道に囚人として連れてこられたのでした。
そして硫黄山(アトサヌプリ)の採掘作業は、こうした囚人たちが駆り出されのでした。
そしてその作業はあまりに過酷であり、次々に囚人たちは倒れていったといいます。

しかし勢い余って硫黄を掘り出しすぎたたため、硫黄が枯渇してしまい、硫黄山での採掘作業はわずか9年で廃止されました。

シラルトロ沼・サルルントー・塘路湖などの湖を、横に過ぎ行く

標茶駅を出ると、茅沼駅かやぬまえきを過ぎて、塘路とうろ方面へと南下してゆき、どんどん釧路へ近づいてゆきます。

釧路川に沿って、様々な景色が登場

ここからの景色は圧巻です。釧路川くしろがわに沿って様々な湖が窓に姿を表します。

窓の右側には、釧路川くしろがわの景色も広がります。

釧路川(釧網本線の車窓より)(北海道)

釧路川(釧網本線の車窓より)(北海道)

釧路川は、先述の通り、明治時代に標茶~釧路間の水運の機能も果たしました。

すると、窓の左側にはシラルトロ沼の景色が広がり、サルルントーの横を通りすぎてゆきます。
そして、塘路湖とうろこの横を通りすぎてゆきます。

シラルトロ沼(釧網本線の車窓より)(北海道)

釧路川の支流であるアレキナイ川が流れ込む淡水湖・塘路湖

塘路湖(釧網本線の車窓より)(北海道)

アイヌ語で「ト」「トー」とは、「湖」や「沼」の意味

また、アイヌ語で「」「トー」とは、「」や「」の意味があります。

余談補足:「ポロ」→「大きな」

また、アイヌ語で「ポロ(幌)」は「きな」という意味があるため、「ポロト」というと

  • 大きな沼
  • 大きな湖

という意味になります。

例えば、北海道・苫小牧とまこまい近くの白老しらおいには「ポロト湖」という湖があります。
また、函館・七飯ななえにある大沼おおぬまも、アイヌ語の「ポロト」から来ています。
大きい沼」ですから、読んで字のごとくですね。

塘路駅で、ちょっと休憩

塘路湖を横に走ると、やがて、

  • 塘路駅とうろえき(北海道川上郡標茶町)

に着きます。

塘路駅(北海道川上郡標茶町)

塘路駅(北海道川上郡標茶町)

塘路駅とうろえきは、まさに釧路湿原への入口の駅になります。
もしここで網走駅あばしりえきを16:20に出た普通列車に乗っている場合だと、塘路駅で8分にもおよぶ停車時間があります。

また、網走を15:16に出た普通列車であれば、ここで6分の停車時間があります。
ここで一旦、少し途中下車をして、休憩写真撮影などができます。
ただしそんなに長い時間があるわけじゃないので、発車時間に乗り遅れないように注意しましょう

次回は、釧路湿原の話題・釧路駅に到着

次は、釧路湿原の話題となります。

また、次でいよいよ釧路駅に到着となります!

ちゅうい!おわりに

この記事は、「旅行初心者に教える」ことを目的として書いており、難しい表現や専門用語などは極力使用を避けて、噛み砕いて記述・説明することに努めております。そのため、内容については正確でない表現や、誤った内容になっている可能性があります。
もし内容の誤りに気付かれた方は、「お前は全然知識ないだろ!勉強不足だ!」みたいなマウントを取るような書き方ではなく、「~の部分が誤っているので、正しくは~ですよ」と優しい口調で誤りをコメント欄などでご指摘頂ければ嬉しく思います。再度こちらでも勉強し直し、また調べ直し、内容を修正致します。何卒ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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